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三木金物を世界に発信

TOP INTERVIEW

個性とユーザーライクを大切に

メーカー様とお客様のパイプをより強くしていきたい

代表取締役

藤本 哲司

TOP INTERVIEW

01

経営の原点は?

藤本商店 創業

 兵庫県三木市は、日本で最初の「金物の町」と称され、経済産業省が指定する「伝統的工芸品」の刃物産地です。当時の三木市は鍛冶屋(現在のメーカー)が中心のまちだったため、日本全国に「三木の商品を持っていく」という事ができず、現在と比べ、交通面や流通面のインフラ整備がされていない時代でしたので、三木金物を提供する事ができない状態でした。そこに着目した初代社長の藤本良雄は、三木の金物を全国に発信していく機能を持った業者として、金物卸問屋を創業しました。それが、現在の総合卸商社を築いた経営の原点と言えます。

TOP INTERVIEW

02

​藤本産商のルーツとは

 元々初代の家では、お米屋を経営していましたが、自身は金物を学ぶべく修行をしていました。その後、当時の三木金物の販路の現状に着目し、広めていくべく、独立、全国を練り歩いたと聞いています。海外においては、満州事変後の中国、朝鮮、満州では道具が発展していない中、日本の商品が流れていた事や、物や家を建てる大工道具となれば、三木市が大工道具のメッカとしてあげられたほどで、日本の商品の良さを伝えるべく、販路を開拓し、金物業界の地位を確立しました。
 二代目の時代には、三木の商品を地域問屋を経由して販売する代理店制度を作りました。その制度はメーカー様より特別な価格で商品を提供して頂き、地方の問屋に販売するという仕組みです。その仕組みによって、戦前~戦後にかけて東京開発のため、荒れ果てた土地となってしまった東京に多種多様な商品を提供する事ができました。また、問屋が集中する新潟県三条市には子会社として、株式会社三條冨士星を設立することで、関東地方だけではなく、東北地方にも販路の開拓が可能となりました。
 これらの時代から、私たち藤本産商の始まりは、地場産業の商社として、三木の商品全てを取扱い、日本そして世界に広めようというのが事の始まりと考えております。それは、創業から現在において受け継がれる変わらない想いと考えております。

藤本産商初代社長
三木問屋

TOP INTERVIEW

03

お客様とメーカーのパイプを強くする事がチャンスにつながる

三木 金物 メーカー

 藤本産商の魅力は、三木の他の商品とのタイアップだと考えています。それは、創業よりおよそ90年という長きに渡り、三木のメーカー様とつながりがあるからこそ、新しい商品を開発できる事に他なりません。しかし、それだけではなく、お客様が何を求めておられるのか、それに対して私たちにはどんな事が提案できるのか、いわゆる聞き上手、説明上手のスタイルがとても重要だと考えております。私たちは今、メーカー様だけではなく、お客様との関係性も大事と考え、重きをおいています。そのために、お客様の悩み事を解決することが、結果的に商品ニーズをつくる事になると考え、お客様に喜ばれるユーザーライクの提案をメーカー様と共に行っております。

TOP INTERVIEW

04

自分の個性とユーザーライクを大切に

自分の会社の商品に自信を持てることは、当たり前のようですが、それは日々の努力で培われたものです。藤本産商の最大の強みは、1人ひとりが、自分自身の個性を大切にし、どうすればお客様が喜んでもらえるんだろうと常にユーザーライクの精神を持つことだと思っています。ですから、みなさんの中に、お客様が喜ばせる事が好きな気持ちがあるなら、それを大事にして下さい。そして、あなたの個性を私たちと共に育んでいきましょう。きっと一緒に良い仕事ができるはずです。最後まで私のメッセージをお読みくださり、ありがとうございます。少しでも藤本産商に関心を持っていただけたでしょうか。
それでは、みなさんとともに仕事が出来る日を心待ちにしています。

社長 リクルートメッセージ
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